2023/01/25
物流大河シリーズ①日本の物流の発祥
皆様こんにちは!日本物流開発のコラム担当の「一」です!
いつも当コラムをご愛読いただきありがとうございます!
早いもので1月も中旬になり、新年という気分も大分なくなってきたと思う時期だと思いますが皆様はお正月をどのように過ごされたでしょうか?
新しい年を迎えるということは様々な文化・風習があり、お正月の過ごし方というのも時代が移り変わるにつれて様々な様相に変化していきます。
では、物流はどのように変化したのでしょうか?
本コラムでは日本の物流の歴史を学んでいき、今後の物流業界の在り方についてより理解を深めていきたいと思います!
日本の物流の起源
そもそも日本ではいつから物流という仕組みがあったのでしょうか?
「物流」の語源は1950年代にアメリカで採用されていた流通システムの「Physical Distribution」を「物的流通」と翻訳したことで生まれた言葉だといわれています。では、それ以前に物を流通させるという概念がなかったのかといわれるとそんなことはありません。日本の物流システムは江戸時代までさかのぼることが出来ます。
江戸の物流
江戸時代において、江戸は消費が盛んな都市でありました。当時、江戸の人口は最盛期で約100万人ともいわれており、その分食品等の消費量も高かったということがわかります。
一方、その消費を賄うためには関東地域だけの生産量では不足しており、当時は「参勤交代」という強制出張制度もあったので江戸市民の消費量に加算され常に消費量は高かったというデータもあります。そうなると物をどこからか運ぶ必要が出てきます。当然当時にはトラックは存在せず馬車や牛車はありますがそれら動物を飼育する為のコストや積載量の低さ、悪路による商品の汚破損という問題もありました。そこで当時は水路を中心に流通が発展していました。
物流拠点都市としての【大坂】
水路を使う流通が発展していったのは分かりましたが商品はどこから運ばれていたのでしょうか。それは「大坂」です。(現在の大阪府)
なぜ大坂が物流拠点都市になっていたかというとしっかりと理由があり、第一に米や味噌、醤油といった主要消費物資の生産地が近かったこと、第二に京都に近く商業活動が活発であり物の集中量が江戸よりもはるかに多かったことなどが挙げられます。また九州から主要消費物以外にも特産品なども多く集まっていたとも言われています。
物が集まってきやすい地勢であった大坂では流通経路として瀬戸内海の航路が安全、かつリードタイムが短く集約に適していた、淀川をはじめとした河川と内陸と舟運が発展していたこともあり流通拠点として非常に重宝されていたと記載があります。
航路と結節点
集約都市がある、運ぶ手段がある、それだけではまだ足りません。現代の物流を思い返してみると分かりやすいと思いますが、中央集約倉庫から直接お客様の元に商品を届けることはそんなにありません。一度中間倉庫やソートセンターを経由し、さらに各地の発送拠点へと送られています。江戸時代でも同様のシステムで運用していました。
商品を安全に届けるべく安全保障制度の設立や商品管理システムを導入し確実な徴税システムを運用するといった現代と遜色ない物流システムが運用されていきました。
まとめ
いかがだったでしょうか?
物を運ぶという概念自体は非常に古く、日本では飛脚が鎌倉時代から存在し物を運んでいましたが、江戸時代になりより多くの物を安全かつ効率的に運ぶことが主目的となっていきました。今回は東京海洋大学 苦瀬博仁教授著「江戸期における物流システム構築と都市の発展衰退」を参考にさせていただきました。本コラムでは紹介しきれないほどの深堀がされており、読み物としても非常に面白いので気になった方は是非ご一読いただきたいと思います。
次回は明治時代から近代化を取り入れた物流がどのような変遷を遂げたのかを紹介したいと思います!!