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2023/02/27

物流大河シリーズ② 日本の物流の近代化

皆様こんにちは!日本物流開発のコラム担当の「一」です! 

いつも当コラムをご愛読いただきありがとうございます! 

前回のコラムにおいて江戸時代の物流について解説いたしましたが今回のコラムはその続きになります。黒船来航後、尊王攘夷運動や大政奉還を経て時代は明治になりました。西洋からもたらされた文化や技術、そして世界に向けて日本の物流はどのような変遷を遂げたのでしょうか?

明治時代の物流事情

江戸時代と明治時代の物流事情には大きな違いがあります。それは取扱商品です。江戸時代の物流では主に食料や名産品などを(鎖国政策を行っていたこともあり)国内に流通させるのが主な役割でした。一方明治時時代になると食料品などの国内流通はそのまま、プラスアルファで海外に輸出する「絹」の輸送を行っていました。世界遺産にも登録されている富岡製糸場では輸出をするための「絹」を製糸する役割があり、日本で初めての建設された機械製糸工場です。

機械を使うことで商品品質の向上、大量生産が可能になりました一方問題が発生します。それは富岡製糸場のある群馬県は海に面していないことです。

日本は四方を海に囲まれている島国であるため、海外に輸出する為にはどうしても海を使う必要が出てきます。その為明治時代の物流は次のように進化していきます。

新物流手段「鉄道」

明治時代の海外物流の拠点として横浜港が主に利用されていました。その為富岡製糸場のある群馬県から横浜港をつなぐかつ大量に輸送できる経路が求められました。そこで明治15年(1882年)に東京と群馬を結ぶ鉄道路線「高崎線」(現在のJR高崎線)が生まれました。また、ただ絹を運ぶだけでなく、農産物の貨物輸送の為に物流拠点として貨物駅も多く整備されていきました。代表的な駅として「秋葉原貨物駅」というものがございます。現代では電子パーツやアニメグッズの町と知られる秋葉原ですが、当時は神田野菜河岸に接していたため主に野菜の集荷拠点として活用されていました。

当時の鉄道料金は現代の鉄道料金とは比べられないほど高額でした。現代レートに直すと東京横浜間で15000円になるともいわれています。その為東京群馬間はより高額であったことは想像に難くありません。その為、いかに途中で商品を多く運ぶ=積載率を上げるために集約拠点を増やすのではなく拠点を設置することで、鉄道という当時の最先端かつ最速の移動手段を使い多くの物を輸送し、外貨を稼ぎ生活を豊かにするという当時の国家施策であった「富国強兵」を実現していました。

まとめ

いかがだったでしょうか。江戸時代の物流に比べると移動手段が劇的に進化したことでより多くの物を短時間で運ぶことが可能になりました。今回では触れませんでしたが明治後期になると車も登場したりとより現代の物流手段に近づきコラムを書くたびに物流の進化を実感することが出来ます。

今後も物流の歴史について取り扱っていきますのでぜひご覧ください!

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